ラベル Romance の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Romance の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
20130101

The Remains of the Day (1993)






あけましておめでとうございます。
今年の抱負は「脱☆三日坊主」です。よろしくおねがいします。
今年の目標は映画60本より多く観ること!にしようかとおもいましたが、
最近量よりは質(というよりイギリス)なのでどうなることやら。
90年代物も含め、古めのを観ていきたいです。



そしてそして、昨年やり残していた記事が…。最後で最高の映画でした。


1993年公開の「日の名残り」です。原作はイギリス在住の日系2世カズオ・イシグロの同タイトルの小説(1989年)です。最近公開された映画「私を離さないで」(Never Let Me Go)の原作の作者でもあります。イギリスらしい小説も書いてるんですね…。私はヴィレッジ・ヴァンガードで買った「私を離さないで」の和訳に挑戦したんですが、挫折しました…なつかしい大学受験前の話。かれこれ3年ちょい前ですか。あれ以降イシグロ恐怖症で挑戦してません…そろそろ原文で読んでみようと思います。

ちなみに、この映画は「ヘリテージ映画」(heritage = 財産や遺産という意味、world heritageって書く”世界遺産”のそれねー)と呼ばれる、「イギリスらしい」映画の一つ。この「ヘリテージ映画」たちは90年代あたりに、映画館での観客がハリウッド映画に奪われてたため、それに対抗する形で作られたんだとか。







ほわー。素敵でした。
この一言に尽きる。主人公は執事なんですが、これがまた良い。きっと元来ならば、支配層(この場合ダーリントン卿など)をメインに描くことのほうが断然多い。けどそうじゃなくて、あくまでも主役は労働者階級の執事。彼の身分からして、たとえ主人が合っていようと間違っていようと、自分の意見はいえない。けれど、「紳士」と呼ばれる人たちの元で育ってきたからには、それなりの教養や考えもあるはず。その間で主人公は揺れる、ジレンマを感じる。



ごく簡単にお話の内容:

主人公のスティーヴンは、侯爵でもあり政治家でもあるダーリントン卿にずっと仕えてきた。しかし侯爵の死後、そのダーリントン・ホールはとあるアメリカ人の富豪が購入し、スティーヴンは彼に仕えることになった。そこで女性のスタッフとして、以前そのお屋敷で働いていた(そしてその頃手紙をもらった)ミス・ケントンはどうか?と考えるようになる。ダーリントン・ホールが売却されるまでの経緯をスティーヴンの回想という形で、第二次世界大戦目前の時期を中心に物語が展開される。(まったくもって意味不明なのでgoo先生を参照してください、ぺろ)


と執事のお話なんだけど な ぜ か ロマンス。ミス・ケントンとの「あれ?もしかして?」止まりの。
歯がゆいねぇー。というか熟年ラブ?なんか、どっちも歳が行き過ぎてるように見えてしまって…。それよりアンソニー・ホプキンズが某ニュース番組のOさんにしか見えなくて焦った。エロおy… おやおや、だれか来たようですね。

共感できなかったので彼らの関係についてはかかん。


まずしょっぱなのシーンから分かることは、アメリカとイギリスの関係。ダーリントン・ホールのようなカントリー・ハウスはイギリスの上流階級の象徴ともいえる。それがイギリス人からイギリス人の手に渡ったならまだしも、アメリカ人ときたもんだ。しかも富豪。第二次世界大戦後は、もはやイギリスが世界をリードするような世界ではなく、アメリカが世界一という状況。そんな状況を作ったのは、皮肉にも、この屋敷の持ち主であったダーリントン卿その人。


回想される過去の1938年、このダーリントン・ホールでは様々な「会議」が行われていた。この時点で、私たちの感覚からするとおかしいのかもしれない。仮にも家であり、私的な空間である場所で、ナチスとの今後の関係をどうするか話し合う(そしてそこでの意見がそのまま実際の政治に反映する)とか、公私混同にも程がある!しかもその会議とやらが全くオハナシニナラナイ、みんな子どものように好き勝手する間に進む(フランス人のデュポンとか、もはや笑う)。そしてナチス相手を、従来のように「徳」と「偽善」でどうにか解決しようとする。そりゃあルイス(アメリカ人)も批判するわけよ。「お前たちはみんな立派な紳士かもしれないが、政治においてはアマチュアだ」と。よくぞ言ってくださった!(ぱちぱちぱち)

こーんなおうち。

そんなとある「家」での決断が、歴史にも残る大戦争を引き起こしてしまった。それは間違いなく、ダーリントン卿をはじめとしたヨーロッパの「紳士」たちの安易で、非プロフェッショナルな考え方によって。「家」の中で行われるようなままごと遊びでは、もはや通じない世の中になっていたことを、彼らは気づいていなかった。たぶん気づいていたけど、目をそむけていたんだと思う。

伝統を重んじるばかり、そして秩序を重んじるばかり、ルイスのようなアメリカ人(「新しさ」「ラディカル」の象徴)の若造の意見なんて聴こうとも思わなかった。彼らの存在自体がアナクロニスティックだったのに。後にこのダーリントン・ホールの所有者となるのはルイスなんだけど、彼がその時言った事(アマチュア発言)に関しては、「僕何言ったっけ?まったく覚えてないや」と言うあたり、きっとアメリカの衰退はこれからだと言いたいのかな。

from www.moviescreenshots.blogspot.com

アメリカはヨーロッパのような歴史や伝統がない。だから彼らは伝統にある種の憧れを抱いているわけで、そんなことからルイスもイギリスのカントリー・ハウスなんかを買ったのかもしれない。けど、これは今のアメリカの物の見方や仕方が、やがてはWW2前のイギリスのように時代遅れになってしまうかもしれないこと、そしてまた過ちを犯してしまうことをも示唆しているのかも。


話を戻して、ここで行われている「国際会議」は聴こえは立派かもしれない。けれど結局は家の中のままごと遊び。そしてその裏で、その参加者を支えている執事や使用人たちの間の問題はドメスティックな事柄だけど、両者には優劣がない。同じレベルの事だということ。




裏の世界(使用人の世界)でフォーカスされているのは、スティーヴンの父であるウィリアムの事。ウィリアムは高齢すぎて給仕がもうできないような状態にあるわけだが、それを認めたくないスティーヴンは誰が何と言おうと、父に給仕をやらせる。スティーヴンがトップの執事であるため、上下関係が逆転しているのがまたまた厄介。本来なら父親が最初であるところ、息子が上なんだから。

最終的に、スティーヴンがしきたりや父を敬うといった価値観はもう存在しないのだと気づかされるのが、上で話したルイスのアマチュア発言の時だと思う。執事のプロは「名誉」(honor)によるものではなく、能力によるものであるという事に気づかされた。スティーヴンは、ミス・ケントンにも「父にはもっと敬意を払って」と言っていた(名前で呼ばないで、ミスター・スティーヴン・シニアとでも呼べ!ってセリフからもわかるように)。けど、それは自分が老いていく父を見たくなかったから、自分の職業に誇りを持っているから、同じ経験を積んだ父が無能な姿を見たくなかったから。それに気づいた時には、ウィリアムが息を引き取ってしまうのがうるうるポイントだねー。


父と子の関係は、カーディナルとスティーヴンにも当てはまる。カーディナルの代父であるダーリントン卿に、「コウノトリが赤ちゃんを連れてくるわけじゃないのよー」的なアレを教えてやってくれと頼まれてしまう。けれど、その会話はいつも何かにさえぎられてしまって、結局することができない。それは、ドイツ人(ナチスの人?)がお屋敷に来た時もそう。「いつも君と話がしたかったよ」というまだ若いカーディナルと歳を取ったスティーヴンには価値感が違う。身分が違うわけだから。結局その時も、カーディナルが事を重大さを知らしめるのにスティーヴンはぼーっと、他人事のように自分には無関係だという。スティーヴンは、伝統を重んじる世代と新しいラディカルな考えを持つ世代とに挟まれてしまっていて、労働者だし執事だしなのに更に窮屈そうでかわいそうだ。


スティーヴンは、後にカーディナルが死んだと告げている(しかも淡々と…内心はそうでもないんだろうけど)。彼が死んだのはDunkirk(ダンケルク)で、これはWW2の中でも重要な戦いだったらしい。ここではドイツ軍が勝ったけど、チャーチルの作戦(ダイナモ作戦)で数十万人の兵士が救出されたらしい。映画「つぐない」でもこのシーン出てくるねー。




印象的だったのは、ワインボトルを割ってしまうシーン。


このワインは1913年のもの(Dow 1913)なんだけど、1913年と言えば第一次世界大戦がはじまる直前の年。つまり、このワインの破損は第一次世界大戦と同じ事が繰り返されてしまうことを表しているのだと思う。伝統と秩序がまだ重んじられていた時代の物、そしてその瓶が割れて真っ赤なワインが血のように流れ出す。上で密かに行われているドイツ軍との密会、そこでの何らかの見解の一致(イギリスのナチスに対する宥和政策)。それによってもたらされる戦争、そして繰り返された歴史への後悔。これは同時に、スティーヴン自身のミス・ケントンとの恋が実現しなかったことへの後悔も描いているのだと思う。執事という自らの考えを表に出さない職業柄、自分の本当の気持ちをミス・ケントンには言えなかった、それに対する後悔。切ないー。





このお屋敷、ロケ場所はDyrham Park(ダイラム・パーク) という場所。めーーーっちゃ広大。
やっぱりイギリスの緑好きだ。





この本にも「イギリスの階級制度」について書いてある箇所に、この映画が言及されてます。古い映画から最新の映画までカバーしてて読みやすいなーと思う。イギリスはもちろん、アメリカ文化についても触れているので興味があれば是非一読を:)


今日、ちょうど文学におけるMarxismの支配層ではなく彼らを支える側の視点の文学があまりないっていう批判?に触れたんですけど、これはその支える側ということになるのかな。なんて考えたり。ま、違いそうー。

相変わらずの読みにくい支離滅裂文章だわー。




★★★★☆ (4.5)
Dir. by James Ivory (ジェームズ・アイヴォリー)
Screenplay by Ruth Prawer Jhabvala
Music by Richard Robbins
Cinematography by Tony Pierce-Roberts
12/28/2012
20121231

Howards End (1992)





1992年の作品、「ハワーズ・エンド」。
原作はイギリスの小説家E.M.フォースターが1910年に出版した同タイトルの小説です。
またエマ・トンプソンとアンソニー・ホプキンズなわけですが。どうしてこのキャスティング~。


実の実は、2013年初映画はこれでした。
ちょっと年明け早々にしては、もやっとするチョイスだったかも…。







最初は面白かった。ヘレンが失恋っぽいものをして、なんかダメンズ好きそう~な感じで。そしたらなんかヘレンおっちょこちょいなんだから!(ぺろ)人の傘持ってきちゃうしー。バストさんかわいそうでしょ☆みたいな。マーガレットは貴婦人とお友達になってー。ちょっとマニッシュな格好で時代の最先端な思想持って―みたいな。


で、どこからだろう。すごーくドロドロした展開になってきたのは。


この登場人物たちを見てみると、ウィルコックス家は上流(それでも貴族ではなくて、資本家として成功した系の)、シュレーゲル家は中流階級、そしてバストは労働者階級。イギリスの階級っていうのは大部分が決まっていて流動することはない。結婚とかを除いて、基本的には変わらない。その結婚も身分相応の者とするのが普通ではあるけども…。

マーガレットはウィルコックスの妻になった。ヘレンも結果的には上中流階級ということになる。彼女らにはバストのような人たちの生活がわかっていない。偽善的な部分が見え隠れしている。けれど、悪く思えないのはマーガレットが純粋だからなんだよね。個人的にこういうタイプは苦手ではあるけれど笑。


でも、最後まで闘ったヘレンは偉い。といいたい所だけれど、結局バストは死んでしまう。なんだかギャッツビーの社会的地位が逆バージョンみたいな感覚。バストが生きている間は、彼の事を想ったりなんだかんだするけど、死んだからといって何かが残るわけではない。バストという労働者階級の男性が一人死んだからといって、彼女たちの生活に何か変化が訪れたわけでもない。ただ、ハワーズ・エンドは得ることができたけども。そこがこの映画のもやもや感を生み出してるのかな。労働者階級には希望もない。中流や上流の踏み台にさせられるだけで、自分の人生をろくに生きることもできない。


なんだかどの展開も中途半端な感じはした。けれど、全部最後のバストの死によってその感覚は消えて行ってしまう。それだけ、彼の死のインパクトは観客には強いけれど、お話の中の人たちにとってはそうでもないんだろうね。

あとはマーガレットが普通の女性になってしまったことからも、なんだかこの物語に希望が見いだせなかった。とても爽やかなエンディングになってるけど、ちょっとしんみりとしてて暗め。


これも読むリストに入れなければ。
バストのアパートの家、本当に寝れるの?っていうくらい電車の音と光、睡眠妨害とかいうレベルじゃないよ!都市に住む労働者たちの環境はやっぱり考慮されてなくて辛いものだったんだろうなーと思った。

んーでもやっぱりエマ・トンプソンとアンソニー・ホプキンズに鳥肌が。





★★★☆☆
Dir. by James Ivory (ジェームズ・アイヴォリー)
Screenplay by Ruth Prawer Jhabvala
Music by Richard Robbins
Cinematography by Tony Pierce-Roberts
20121227

The End of the Affair (1999)





1990年代映画週間になりつつありますが…、今日は1999年「ことの終わり」という映画です。
Rated R らしく、日本だと中学生以下は見れないらしいですよ。これほんと?
これの原作は20世紀の英作家グレアム・グリーン(Graham Greene, 1904-1991)の同タイトルの小説です。文庫の邦題は映画版よりも原題に忠実、「情事の終わり」です。
ちなみにGrahamはグラハム・クラッカーと同じだけど、グラハムではないのです…出た、読み方と綴りがマッチングしてないパターン。






ん~なんというか、これまた書くことがない…。
原作が小説だと知らなかったら、よくあるロマンス映画って思ってしまったかも。
ジュリアン・ムーアは、最近のを見てるとレズビアン系に走ってしまってる感があるので、ちゃんと男性とのシーンもあるんだ…と驚きました(そこか)。


映画の語り方としては良かった。小説の中の出来事という枠組みだったのが、後半に現実で続きがおこるという部分が。そして、それらの流れがまた別の異なるの視点(サラの日記という枠組み)からも繰り返される部分が。男からの視点と女からの視点の両方があって、ようやく辻褄が合うんだけど、そこで映画自体が終わらないのも良かった。

嫉妬に狂った主人公モリス・ベンドリックスが、不倫相手サラの素行を調べようとして探偵を雇う所から始まる。それは、友人でもあるその夫が、妻が誰かと密会していると疑っていることを知ってからのこと。自分以外の男性と交際してるのかってベンドリックスが嫉妬してね。彼はサラを愛してるけど、二人の間に起った事柄を思い返すと彼女の方は違う。そのうち、彼女の愛人は自分だけって判明するんだけどさ。


イギリス小説には「カトリック」がテーマになっている作品が多い。英国自体はプロテスタントだから、カトリックというのは葛藤とか問題となって小説上表れてくる。例えば、イーブリン・ウォー(Evelyn Waugh)のBrideshead Revisited (「ブライズヘッドふたたび」、映画は「情愛と友情」)でも物語の中心テーマとしてカトリックの問題が扱われている。多くの場合、作者自身がカトリックである場合がほとんどなんだけど、グレアム・グリーンもそうらしいです(彼の場合は最初からではなく、後に改宗したんだって)。だよね。終盤になって「神が神が」ばかりだなーって思ったよ。つまりは、最初から宗教要素上手くちりばめとけばよかったのに。急になんか胡散臭くなって、それで病死か。典型パターンじゃねーか、と。


きっと小説でなら、納得できたと思う。
ただ映像化してしまうと、陳腐なものになってしまう、かなぁ。



あとは、あのブリッツの時に、不倫という罪を犯してしまった二人に天罰が下ったという解釈でいいのかな。モリス=キリスト(爆撃を受けた時の背後がステンドグラスということは、教会でのイエス像の背後のそれのイメージ)で、彼を犠牲にしたから救われるという具合に…だからあの時二人の間の全てが変わってしまった。彼の復活はまさに奇跡であり、神聖。モリス自身が無神論者という設定が何とも皮肉。



というか、途中で観てて思った。Gossip Girl でこの映画のオマージュシーン出てくるよね!?シーズン5で、ブレアが「チャック死なないでぇぇ!」って神様に祈り「生かしてくれたら私もう会わないからぁ!!」、後に背後から「チャックさん、生き返りましたよー」みたいになるシーン。すごく聞き覚えのある内容と思ったら、本当にそうだ。この回のタイトルが"The End of the Affair?"でした。下は左がブレアさん(Leighton Meester)と右がサラさん。この二人、顔の系統似てるね。レトロが似合うお二人だ。




そしてムーアさん、イギリス英語ですね!!きました!ギャップ!といってもそこまでなかった…。そもそもセリフが少なかったな。



★★☆☆☆
Dir. & screenplay by Neil Jordan (ニール・ジョーダン)
Music by Michael Nyman
Cinematography by Roger Pratt
20121220

Jane Eyre (2011)




やっと観た。
英文学で「governess」(雇われの女性家庭教師、大体住み込み)といえば、この作品。

2011年公開の「ジェーン・エア」だよ。
買って良かった!
シャルロット・ゲンズブール版(1996)よりは上手くまとまってるんじゃないかと思われ!
以下、思ったこと。原作に対する、この映画のinterpretationの仕方を考えてみました。








原作は、ジェーン・エアという主人公の半自伝的小説。孤児ゆえに、叔母のリードさんの元で育てらるんだけど、この叔母さんの家族が本当に酷い!ジェーンを人間として認識してくれないし、従兄弟たちに(特に長男のジョン)からも酷い仕打ちを受ける。けど、ジェーンは果敢にも彼らに反抗する。


そんな「悪い子」ジェーンは、リード家がすんでるゲーツヘッドを離れてローウッドという施設で教育を受けることになる。ここの施設も現実のどん底のような世界で、生徒いは酷くて、食事もろくに食べさせてもらえない。全員女子なのに、先生たちは普通に生徒を叩くし、管理がなってないから疫病で半数の生徒が死んでしまう、そんな学校でジェーンはヘレン・バーンズに出会い、唯一仲良くなる。けど、やがて彼女も持病で死んでしまう。



そんな凄まじい生活を生き抜き、ジェーンはようやくローウッドを出て、ソーンフィールドというお屋敷で家庭教師として雇われる。そこでそこの主人であるエドワード・ロチェスターと出会い、様々な(というか奇妙、それより恐怖を煽るような)事件を通してお互い恋に落ちるんだけど…









制作者たちも言ってるように、ゴシック要素が多い気がする。雰囲気をとってみても、全体的に色のトーンが抑えられていて、なんだか薄暗い。イギリスっぽい?といえばそうかも。

ボーナス映像の方でも解説してたけど、「光」がキー。特にそれが顕著なのはソーンフィールドでのシーンたち。最初にジェーンが訪れる時も夜で、ロウソク或いは暖炉の灯りだけしかない。ジュディ・デンチが演じるフェアファックスさんも、ソーンフィールドの暗さについて言及してるし。当時の生活を考えれば、電気がないのは当たり前なんだけど、それが余計にこの話に潜んでいるダークな部分を示唆している。製作者たち曰く、暗闇に対する「恐怖感」を演出しようとしてたらしく、それが物語のゴシック性を強調してるというわけなのかしら。

あと、夢。
ゴシック小説には、超自然現象とか夢、というか「悪夢」がよく出てきます(エミリー・ブロンテの「嵐が丘」もそう)。反対に、オースティンのようなリアリズム小説には全く出てこない。この映画では、ジェーンがリヴァーズ家で朦朧としている中、彼女自身の生い立ちが説明されている。つまり、幼少期からソーンフィールドを出るまでの部分は、彼女にとっての悪夢とも言える。

その根本にあるのは、リード叔母さんもそうだけど、なんと言ってもバーサ・メイソンの存在じゃないかしら。ロチェスターの戸籍上の妻である彼女がいるから、ジェーンはロチェスターと結婚することができなかったし。彼女はソーンフィールドの生きた亡霊で、物語のキーキャラクターだ。バーサの死によって物語はハッピーエンドを向かえるけど、妻が死んだことでジェーンはソーンフィールドでの「幽霊」的な存在感から本妻として認められる。ロチェスターの元にちゃんと人間の姿をしたジェーンが現れるし(最後のセリフも"Awaken then"って「夢から覚めなさい」だし)、幻聴(超自然的状況)でしかなかったロチェスターのもとに帰れることができた。これら全がてゴシック的要素として取り入れられ、最後には解決で終わるという構造になってる。



あと、ロチェスター氏についてなんだけども。
彼はソーンフィールドの当主だから、実際は労働者階級のジェーンと結婚することは許されないはず。ジェーンはただでさえ全くかわいくないから(という設定)、ロチェスターとは不釣り合いなんだよね。で、彼は登場からして'masculine'さが強調されている。あんなにも強暴な馬を乗りこなせるくらいの力が彼にはある。彼が所有しているソーンフィールド(「棘の野原」)も彼の力や性質を表してる。そんな強い男性という像は、ジェーンの前では次第に崩れて行く。それが決定的な場面は、真夜中の火事事件じゃないかしら。ことが収まった時のロチェスターは、とても弱々しい。
Jane... fire is a horrible death. You have saved my life. Don't walk past me as if we were strangers
ここで初めて、彼はジェーンの名前を呼ぶ。彼が彼女を信頼していることも見て取れる。他人を遠ざけているのはロチェスターの方なのに、「見知らぬ人のように振舞わないでよ」ていってる。また、「私を置いて行くのかい?」と二度も言葉にすることからも分かるように、彼は本当は寂しい人間なんだということが微かに分かる。彼も人間なんだなーって思うと可愛く見えるよね。ツンデレじゃーん、かわいい、ぐへへ。


話が脱線するけど、彼の好意に気づきながらも、ジェーンはそれに答えようとしない。

明け方のこのシーンは柔らかい光が幻想的な効果をもたらしてて、まだ二人が夢の中にいるかのように感じられる。ジェーンを求める(チャラげな)ロチェスターと、幼さを残したジェーンがなんとか彼を拒む様子。それは見ている人をドキドキさせる、印象的なシーンなんじゃないかなと思う。(ん?私がドキドキしただけか、そっか笑)


一番ドキドキしてしまったシーン、はい。

で話を戻して。ロチェスターは社会的には強さを誇示しなければならない立場にあるんだけど、それはイングラムとの関係からもみることができる。

この時代(ヴィクトリア朝)は、イギリスが大英帝国として世界に進出する時代 (これは他のシーンで、ジェーンがアデルに地球儀を使って説明してるよね)。当然、男性には男らしさや力強さが求められた。イングラムのこのセリフには、当時の社会の考え方よく現れている思う。女性は男らしさに魅力を感じるわけね… 「男の美しさは権力によるものよ」って、恐るべしイングラム。現代の肉食女子でもこんなの言わないよ。

彼女の前では取り繕ってるロチェスターでも、きっとそういった評価が更に彼を弱くさせているんじゃないかなと思った。彼もイングラムは"machine without feelings" (「感情のない機械だ」)と批判するしね。つまりBritannia(大英帝国)が"she"で示されるように、イングラムはある意味、機械の発展によって成立した大英帝国を象徴する人物なのかもしれない。



イングラムとは対照的に、ロチェスターにとってジェーンは"rare, earthly thing"(直訳すると「珍しいこの世のもの」)なわけだが、ここにはこの時代にも見られた(産業革命の反動である)ロマン主義的な考えが反映されてるのかも。(深読みしすぎ?)

つまり、ロチェスターからしてみれば、ジェーンはイングランドの自然のように素朴な、心地よさや温かさを象徴している。ジェーンとロチェスターが恋仲となった後、太陽の光と、この作品の中にしては珍しいピンクの花の木のカットがあったり、自然の中で戯れている二人の姿があることからも分かるようにね。




二面性があるロチェスターとは反対に、従来から存在する女性像に真っ向から反抗しようとするのが、ジェーン。

シン・ジン、予想外に二枚目系…


彼女がシン・ジン(彼女の従兄弟、St. Johnという綴りだけど、発音の仕方は「シン・ジン」らしい)の求婚を「あなたとの結婚は死ぬのと同然」と拒否する時も"That is violent, unfeminine, untrue"(おおざっぱに言えば、「そんな暴言は女性らしくない」)と言われるんだけど…冷静に考えて、酷くない?笑 原作でも「女性としての自立」っていうのは大きなテーマになってるわけだが、シン・ジンはそれをジェーンにとって困難にさせるやっかいな精神面の自立を促すキャラクターとして登場する。この映画だとインドへ行く彼についていくとジェーンは言うけど、それは結婚じゃなくて同行という条件で。インドへ行くなんて結構柔軟な発想を持っている彼なのに、結婚が大前提っていう彼の頭の固さは、ジェーンには通用しないのよね。

女性像の問題はロチェスターとの間にも存在する。ロチェスターの元から逃げたのも、もちろんジェーンが自身の自立を守るため。彼女がウェディングドレスを脱ごうとするシーンの、何重にも編まれてる糸や重ねに重ねてある布は、彼女が結婚制度という女性を家に閉じ込めて不幸にするといったような、従来の結婚制度或いは女性像に囚われている状況を示してる。彼女の動揺は画面の揺れからも伝わってくる。ジェーンは重婚をしようとしたロチェスターに怒りを感じつつも、結婚という女性の自由を奪う社会の制度によってロチェスターを得ようと思ってた自分に絶望しているんじゃないかな。




欲を言えば、ローウッド時代をもう少し描いて欲しかったかも!原作に出てくるテンプル先生が出てこないんだよね。彼女がいないと、何でジェーンが不良というか、悪い意味でひねくれた女の子にならなかったのかという説明がつかない気がするんだ…


あとキスシーンがとてもぎこちないww
相当awkwardだよ!年齢差?何がいけないの?
というか、なんかイケナイもの見てる気分になるのはなぜ?笑


マイケル・ファスベンダーのアクセントが普通すぎて(よくない意味で)気になってしまったけど、彼の瞳は印象的。


このおめめ。

少年というか、弱い部分もしなやかで力強い部分も包含してる。というか、ロチェスターはこんなチャラいのでいいのか… かっこいいけどさ… かっこいいんだけどさあ… でもDangerous Methodの時とは雰囲気違って、自由に変幻できる役者って凄いなーと思った。声が特徴的だね。不思議な声してるから一発でわかる気がする。


ミアちゃんはー、見てる間に慣れた。ヅラ感が否めない笑。ロチェスターが暖炉の前で縋り付いてる時の、泣きながらの"God help me"がとても印象的。

あと、ナイトレイ版の「プライドと偏見」のダーシーの妹さん、リバーズの従兄弟の一人だったね。
かわらんのう。
この子。



以上。面白かったし、映像も綺麗!まるでMVを見ているよう。
Birdyの"Skinny Love"を思い出した。



それくらい画面の構造がとてもスタイリッシュだったと思います
時代劇としてもオススメだし(衣装やら部屋の装飾とか。実際に、アカデミー賞の衣装デザインノミネートされたらしいです)、原作ファンでも観れる映画になってると思いまーす!


★☆
Dir. by Cary Fukunaga (キャリー・フクナガ)
Music: Dario Marianelli
Cinematography: Adriano Goldman


 

Blog Template by BloggerCandy.com