20130109

Jack Reacher (2012)





日本では2月1日に公開の映画「アウトロー」を観てきました。
友達ちゃん、ありがとう。プレミアム試写会は初めてなの。いひ。
この作品はイギリス人作家Lee Child(本名Jim Grant)の同タイトルのシリーズ作品に基づくもの。
ということは、この映画シリーズはどのくらいやるつもりなんでしょうか…





それよりなにより言いたいのは、某T氏。噂には聞いていたけど、まったくもって酷い通訳…。
なんだかトム氏がかわいそうになってしまった。
いいのか、トムよ。君の言葉は半分も伝わってなかったぞ…。



この手のアクションはあまり観ないのでなんともいえないのだけれど、映画館で楽しむことができる娯楽映画という印象。息を持って行かれそうなくらいに響き渡る銃声、カーチェイス時のハラハラするブレーキ音、…あ 爆発はなかったよ!そういえば!

きっと家でDVDとして観るには少々物足りなく感じてしまうかもしれない。私だったら地上波でやってたら観るかな~という感じ。(アクション大好きではないからかも)

それよりも、明らかに自分の心臓(というか体)が跳ねるのが分かる映画館の方が楽しいと思う。なので映画館で観る方がいいと思う。映画館プッシュしすぎか笑。


それよりなにより、ロザムンド・パイクが激かわいい。


ナイトレイ版の「プライドと偏見」(2005)の長女ちゃんなんだけど、やっぱりかわいい…。
あの素朴で、きつくない金髪とふんわり感がすごい好き。
それなのに声は低めっていうね。もうこれはギャップ萌え。
はあああかわいいいい。

この先、ネタバレ有。






















コメディー部分が多かったのも面白かった。ちょっとしたジョークだけじゃなくて、ちょっとした流れもコメディーになってたりして。あとは、相変わらず「ヒーローだぜ☆」感が満載なトム氏だわー。いよいよフィクションの中の人物になってしまいそうで怖いくらいに。というか、ふと思ったけど、何とか社っていうのはどうなったんだーーー。もやもや。

あと気になったのは、敵側の多様さ。検察側での黒人がまさかの…!という部分には「ほう…」と思った。そして黒幕がお前何人だよ、シベリアン囚人みたいな。そして子どもを持つ親を考慮してなのか、銃を捨てるシーン。殴り合いには笑ってしまったけど。いちゃこいてる部分もそんななかったわ。そういうものなの?


しかし、邦題は「アウトロー」なのね。なんだか社会からの外れもの、つまり日本では社会からの視点に着目するのに対して、個人名のJack Reacherがタイトルの元はとてもアメリカライクだなーと感じた。



ある市で起こったある事件で色んな人が巻き込まれている物語なのに、現実感がなくてとても夢の中の物語のようだった。舞台設定は現実なのに、少し乾いた雰囲気。不思議な世界でした。



★★★☆☆ (2.5)
Dir. and screenplay by Christopher McQuarrie (クリストファー・マッカリー)
Music by Joe Kraemer
Cinematography by Cakeb Deschanel
20130101

The Remains of the Day (1993)






あけましておめでとうございます。
今年の抱負は「脱☆三日坊主」です。よろしくおねがいします。
今年の目標は映画60本より多く観ること!にしようかとおもいましたが、
最近量よりは質(というよりイギリス)なのでどうなることやら。
90年代物も含め、古めのを観ていきたいです。



そしてそして、昨年やり残していた記事が…。最後で最高の映画でした。


1993年公開の「日の名残り」です。原作はイギリス在住の日系2世カズオ・イシグロの同タイトルの小説(1989年)です。最近公開された映画「私を離さないで」(Never Let Me Go)の原作の作者でもあります。イギリスらしい小説も書いてるんですね…。私はヴィレッジ・ヴァンガードで買った「私を離さないで」の和訳に挑戦したんですが、挫折しました…なつかしい大学受験前の話。かれこれ3年ちょい前ですか。あれ以降イシグロ恐怖症で挑戦してません…そろそろ原文で読んでみようと思います。

ちなみに、この映画は「ヘリテージ映画」(heritage = 財産や遺産という意味、world heritageって書く”世界遺産”のそれねー)と呼ばれる、「イギリスらしい」映画の一つ。この「ヘリテージ映画」たちは90年代あたりに、映画館での観客がハリウッド映画に奪われてたため、それに対抗する形で作られたんだとか。







ほわー。素敵でした。
この一言に尽きる。主人公は執事なんですが、これがまた良い。きっと元来ならば、支配層(この場合ダーリントン卿など)をメインに描くことのほうが断然多い。けどそうじゃなくて、あくまでも主役は労働者階級の執事。彼の身分からして、たとえ主人が合っていようと間違っていようと、自分の意見はいえない。けれど、「紳士」と呼ばれる人たちの元で育ってきたからには、それなりの教養や考えもあるはず。その間で主人公は揺れる、ジレンマを感じる。



ごく簡単にお話の内容:

主人公のスティーヴンは、侯爵でもあり政治家でもあるダーリントン卿にずっと仕えてきた。しかし侯爵の死後、そのダーリントン・ホールはとあるアメリカ人の富豪が購入し、スティーヴンは彼に仕えることになった。そこで女性のスタッフとして、以前そのお屋敷で働いていた(そしてその頃手紙をもらった)ミス・ケントンはどうか?と考えるようになる。ダーリントン・ホールが売却されるまでの経緯をスティーヴンの回想という形で、第二次世界大戦目前の時期を中心に物語が展開される。(まったくもって意味不明なのでgoo先生を参照してください、ぺろ)


と執事のお話なんだけど な ぜ か ロマンス。ミス・ケントンとの「あれ?もしかして?」止まりの。
歯がゆいねぇー。というか熟年ラブ?なんか、どっちも歳が行き過ぎてるように見えてしまって…。それよりアンソニー・ホプキンズが某ニュース番組のOさんにしか見えなくて焦った。エロおy… おやおや、だれか来たようですね。

共感できなかったので彼らの関係についてはかかん。


まずしょっぱなのシーンから分かることは、アメリカとイギリスの関係。ダーリントン・ホールのようなカントリー・ハウスはイギリスの上流階級の象徴ともいえる。それがイギリス人からイギリス人の手に渡ったならまだしも、アメリカ人ときたもんだ。しかも富豪。第二次世界大戦後は、もはやイギリスが世界をリードするような世界ではなく、アメリカが世界一という状況。そんな状況を作ったのは、皮肉にも、この屋敷の持ち主であったダーリントン卿その人。


回想される過去の1938年、このダーリントン・ホールでは様々な「会議」が行われていた。この時点で、私たちの感覚からするとおかしいのかもしれない。仮にも家であり、私的な空間である場所で、ナチスとの今後の関係をどうするか話し合う(そしてそこでの意見がそのまま実際の政治に反映する)とか、公私混同にも程がある!しかもその会議とやらが全くオハナシニナラナイ、みんな子どものように好き勝手する間に進む(フランス人のデュポンとか、もはや笑う)。そしてナチス相手を、従来のように「徳」と「偽善」でどうにか解決しようとする。そりゃあルイス(アメリカ人)も批判するわけよ。「お前たちはみんな立派な紳士かもしれないが、政治においてはアマチュアだ」と。よくぞ言ってくださった!(ぱちぱちぱち)

こーんなおうち。

そんなとある「家」での決断が、歴史にも残る大戦争を引き起こしてしまった。それは間違いなく、ダーリントン卿をはじめとしたヨーロッパの「紳士」たちの安易で、非プロフェッショナルな考え方によって。「家」の中で行われるようなままごと遊びでは、もはや通じない世の中になっていたことを、彼らは気づいていなかった。たぶん気づいていたけど、目をそむけていたんだと思う。

伝統を重んじるばかり、そして秩序を重んじるばかり、ルイスのようなアメリカ人(「新しさ」「ラディカル」の象徴)の若造の意見なんて聴こうとも思わなかった。彼らの存在自体がアナクロニスティックだったのに。後にこのダーリントン・ホールの所有者となるのはルイスなんだけど、彼がその時言った事(アマチュア発言)に関しては、「僕何言ったっけ?まったく覚えてないや」と言うあたり、きっとアメリカの衰退はこれからだと言いたいのかな。

from www.moviescreenshots.blogspot.com

アメリカはヨーロッパのような歴史や伝統がない。だから彼らは伝統にある種の憧れを抱いているわけで、そんなことからルイスもイギリスのカントリー・ハウスなんかを買ったのかもしれない。けど、これは今のアメリカの物の見方や仕方が、やがてはWW2前のイギリスのように時代遅れになってしまうかもしれないこと、そしてまた過ちを犯してしまうことをも示唆しているのかも。


話を戻して、ここで行われている「国際会議」は聴こえは立派かもしれない。けれど結局は家の中のままごと遊び。そしてその裏で、その参加者を支えている執事や使用人たちの間の問題はドメスティックな事柄だけど、両者には優劣がない。同じレベルの事だということ。




裏の世界(使用人の世界)でフォーカスされているのは、スティーヴンの父であるウィリアムの事。ウィリアムは高齢すぎて給仕がもうできないような状態にあるわけだが、それを認めたくないスティーヴンは誰が何と言おうと、父に給仕をやらせる。スティーヴンがトップの執事であるため、上下関係が逆転しているのがまたまた厄介。本来なら父親が最初であるところ、息子が上なんだから。

最終的に、スティーヴンがしきたりや父を敬うといった価値観はもう存在しないのだと気づかされるのが、上で話したルイスのアマチュア発言の時だと思う。執事のプロは「名誉」(honor)によるものではなく、能力によるものであるという事に気づかされた。スティーヴンは、ミス・ケントンにも「父にはもっと敬意を払って」と言っていた(名前で呼ばないで、ミスター・スティーヴン・シニアとでも呼べ!ってセリフからもわかるように)。けど、それは自分が老いていく父を見たくなかったから、自分の職業に誇りを持っているから、同じ経験を積んだ父が無能な姿を見たくなかったから。それに気づいた時には、ウィリアムが息を引き取ってしまうのがうるうるポイントだねー。


父と子の関係は、カーディナルとスティーヴンにも当てはまる。カーディナルの代父であるダーリントン卿に、「コウノトリが赤ちゃんを連れてくるわけじゃないのよー」的なアレを教えてやってくれと頼まれてしまう。けれど、その会話はいつも何かにさえぎられてしまって、結局することができない。それは、ドイツ人(ナチスの人?)がお屋敷に来た時もそう。「いつも君と話がしたかったよ」というまだ若いカーディナルと歳を取ったスティーヴンには価値感が違う。身分が違うわけだから。結局その時も、カーディナルが事を重大さを知らしめるのにスティーヴンはぼーっと、他人事のように自分には無関係だという。スティーヴンは、伝統を重んじる世代と新しいラディカルな考えを持つ世代とに挟まれてしまっていて、労働者だし執事だしなのに更に窮屈そうでかわいそうだ。


スティーヴンは、後にカーディナルが死んだと告げている(しかも淡々と…内心はそうでもないんだろうけど)。彼が死んだのはDunkirk(ダンケルク)で、これはWW2の中でも重要な戦いだったらしい。ここではドイツ軍が勝ったけど、チャーチルの作戦(ダイナモ作戦)で数十万人の兵士が救出されたらしい。映画「つぐない」でもこのシーン出てくるねー。




印象的だったのは、ワインボトルを割ってしまうシーン。


このワインは1913年のもの(Dow 1913)なんだけど、1913年と言えば第一次世界大戦がはじまる直前の年。つまり、このワインの破損は第一次世界大戦と同じ事が繰り返されてしまうことを表しているのだと思う。伝統と秩序がまだ重んじられていた時代の物、そしてその瓶が割れて真っ赤なワインが血のように流れ出す。上で密かに行われているドイツ軍との密会、そこでの何らかの見解の一致(イギリスのナチスに対する宥和政策)。それによってもたらされる戦争、そして繰り返された歴史への後悔。これは同時に、スティーヴン自身のミス・ケントンとの恋が実現しなかったことへの後悔も描いているのだと思う。執事という自らの考えを表に出さない職業柄、自分の本当の気持ちをミス・ケントンには言えなかった、それに対する後悔。切ないー。





このお屋敷、ロケ場所はDyrham Park(ダイラム・パーク) という場所。めーーーっちゃ広大。
やっぱりイギリスの緑好きだ。





この本にも「イギリスの階級制度」について書いてある箇所に、この映画が言及されてます。古い映画から最新の映画までカバーしてて読みやすいなーと思う。イギリスはもちろん、アメリカ文化についても触れているので興味があれば是非一読を:)


今日、ちょうど文学におけるMarxismの支配層ではなく彼らを支える側の視点の文学があまりないっていう批判?に触れたんですけど、これはその支える側ということになるのかな。なんて考えたり。ま、違いそうー。

相変わらずの読みにくい支離滅裂文章だわー。




★★★★☆ (4.5)
Dir. by James Ivory (ジェームズ・アイヴォリー)
Screenplay by Ruth Prawer Jhabvala
Music by Richard Robbins
Cinematography by Tony Pierce-Roberts
12/28/2012
20121231

Howards End (1992)





1992年の作品、「ハワーズ・エンド」。
原作はイギリスの小説家E.M.フォースターが1910年に出版した同タイトルの小説です。
またエマ・トンプソンとアンソニー・ホプキンズなわけですが。どうしてこのキャスティング~。


実の実は、2013年初映画はこれでした。
ちょっと年明け早々にしては、もやっとするチョイスだったかも…。







最初は面白かった。ヘレンが失恋っぽいものをして、なんかダメンズ好きそう~な感じで。そしたらなんかヘレンおっちょこちょいなんだから!(ぺろ)人の傘持ってきちゃうしー。バストさんかわいそうでしょ☆みたいな。マーガレットは貴婦人とお友達になってー。ちょっとマニッシュな格好で時代の最先端な思想持って―みたいな。


で、どこからだろう。すごーくドロドロした展開になってきたのは。


この登場人物たちを見てみると、ウィルコックス家は上流(それでも貴族ではなくて、資本家として成功した系の)、シュレーゲル家は中流階級、そしてバストは労働者階級。イギリスの階級っていうのは大部分が決まっていて流動することはない。結婚とかを除いて、基本的には変わらない。その結婚も身分相応の者とするのが普通ではあるけども…。

マーガレットはウィルコックスの妻になった。ヘレンも結果的には上中流階級ということになる。彼女らにはバストのような人たちの生活がわかっていない。偽善的な部分が見え隠れしている。けれど、悪く思えないのはマーガレットが純粋だからなんだよね。個人的にこういうタイプは苦手ではあるけれど笑。


でも、最後まで闘ったヘレンは偉い。といいたい所だけれど、結局バストは死んでしまう。なんだかギャッツビーの社会的地位が逆バージョンみたいな感覚。バストが生きている間は、彼の事を想ったりなんだかんだするけど、死んだからといって何かが残るわけではない。バストという労働者階級の男性が一人死んだからといって、彼女たちの生活に何か変化が訪れたわけでもない。ただ、ハワーズ・エンドは得ることができたけども。そこがこの映画のもやもや感を生み出してるのかな。労働者階級には希望もない。中流や上流の踏み台にさせられるだけで、自分の人生をろくに生きることもできない。


なんだかどの展開も中途半端な感じはした。けれど、全部最後のバストの死によってその感覚は消えて行ってしまう。それだけ、彼の死のインパクトは観客には強いけれど、お話の中の人たちにとってはそうでもないんだろうね。

あとはマーガレットが普通の女性になってしまったことからも、なんだかこの物語に希望が見いだせなかった。とても爽やかなエンディングになってるけど、ちょっとしんみりとしてて暗め。


これも読むリストに入れなければ。
バストのアパートの家、本当に寝れるの?っていうくらい電車の音と光、睡眠妨害とかいうレベルじゃないよ!都市に住む労働者たちの環境はやっぱり考慮されてなくて辛いものだったんだろうなーと思った。

んーでもやっぱりエマ・トンプソンとアンソニー・ホプキンズに鳥肌が。





★★★☆☆
Dir. by James Ivory (ジェームズ・アイヴォリー)
Screenplay by Ruth Prawer Jhabvala
Music by Richard Robbins
Cinematography by Tony Pierce-Roberts
20121230

The English Patient (1996)




キャッチコピーが気に入ったから、
        迷わずイカガワシイ方にする。 




はい、よくわからない。同じように映画もヨクワカラナァーイ。
これであれだけ賞もらえるんですか。90年代ってヨクワカラナァーイ。
左のポスターの方がスタイリッシュで素敵。笑


1996年の映画、「イングリッシュ・ペイシェント」はマイケル・オンダーチェによる同タイトルの小説(1992)のアダプテーション。彼はスリランカ生まれのカナダ人らしいです。御先祖さんは移住してきたヨーロッパ系と現地の人たちらしいです。ここからしてもう何人という感じねー。


キャッチコピーである"In love, there are no boundaries"(愛、そこには境界線などない)がすべてを物語ってると思う。地図製作者のアルマシーの無国籍性(本当はハンガリー人)、砂漠で地図という境界を作る仕事の無意味さ、などなど。

現代の時間軸では連合軍も国籍がバラバラ:フランス人のハナ、そんなハナと恋に落ちるシク教徒(インド)のキップ、イギリス人のハーディー、戦車で現れるアメリカ人兵士たち。そしてイタリア系カナダ人のカラバッジオ。敵としてドイツ兵も出てくるし。


多文化主義的な傾向にあった20世紀後半を見ると、だからこんなにも好評価なのかなーと思ってしまう。なんかごちゃごちゃしすぎて、苦手だなーと思いながらみてしまったのがいけないのかな。
コリン・ファースの狂ってないようで狂ったかのような自殺っぷりはすごかったです。そこだけ。


レイフ・ファインズ、かっこいいんだけどリーアム・ニーソンと若干かぶる的な。

やっぱりラルフ・ファインズのが断然イケメン


でもそれよりもブラッドレイ・クーパーとの双子加減やばい的な。
でも私はファインズの方が好きだわ。うん。
ちなみにぐぐる大先生の画面を見ると、なんだかゲシュタルト崩壊してきます。おためしあれ

クリソツー

てかジョセフ・ファインズと兄弟とかウソでしょ… 弟ラテン系の顔やん…


え、兄弟?


★★☆☆☆
Dir. & screenplay by Anthony Minghella (アンソニー・ミンゲラ)
Based on a novel by Michael Ondaatje
Music by Gabriel Yared
Cinematography by John Seale
20121227

The End of the Affair (1999)





1990年代映画週間になりつつありますが…、今日は1999年「ことの終わり」という映画です。
Rated R らしく、日本だと中学生以下は見れないらしいですよ。これほんと?
これの原作は20世紀の英作家グレアム・グリーン(Graham Greene, 1904-1991)の同タイトルの小説です。文庫の邦題は映画版よりも原題に忠実、「情事の終わり」です。
ちなみにGrahamはグラハム・クラッカーと同じだけど、グラハムではないのです…出た、読み方と綴りがマッチングしてないパターン。






ん~なんというか、これまた書くことがない…。
原作が小説だと知らなかったら、よくあるロマンス映画って思ってしまったかも。
ジュリアン・ムーアは、最近のを見てるとレズビアン系に走ってしまってる感があるので、ちゃんと男性とのシーンもあるんだ…と驚きました(そこか)。


映画の語り方としては良かった。小説の中の出来事という枠組みだったのが、後半に現実で続きがおこるという部分が。そして、それらの流れがまた別の異なるの視点(サラの日記という枠組み)からも繰り返される部分が。男からの視点と女からの視点の両方があって、ようやく辻褄が合うんだけど、そこで映画自体が終わらないのも良かった。

嫉妬に狂った主人公モリス・ベンドリックスが、不倫相手サラの素行を調べようとして探偵を雇う所から始まる。それは、友人でもあるその夫が、妻が誰かと密会していると疑っていることを知ってからのこと。自分以外の男性と交際してるのかってベンドリックスが嫉妬してね。彼はサラを愛してるけど、二人の間に起った事柄を思い返すと彼女の方は違う。そのうち、彼女の愛人は自分だけって判明するんだけどさ。


イギリス小説には「カトリック」がテーマになっている作品が多い。英国自体はプロテスタントだから、カトリックというのは葛藤とか問題となって小説上表れてくる。例えば、イーブリン・ウォー(Evelyn Waugh)のBrideshead Revisited (「ブライズヘッドふたたび」、映画は「情愛と友情」)でも物語の中心テーマとしてカトリックの問題が扱われている。多くの場合、作者自身がカトリックである場合がほとんどなんだけど、グレアム・グリーンもそうらしいです(彼の場合は最初からではなく、後に改宗したんだって)。だよね。終盤になって「神が神が」ばかりだなーって思ったよ。つまりは、最初から宗教要素上手くちりばめとけばよかったのに。急になんか胡散臭くなって、それで病死か。典型パターンじゃねーか、と。


きっと小説でなら、納得できたと思う。
ただ映像化してしまうと、陳腐なものになってしまう、かなぁ。



あとは、あのブリッツの時に、不倫という罪を犯してしまった二人に天罰が下ったという解釈でいいのかな。モリス=キリスト(爆撃を受けた時の背後がステンドグラスということは、教会でのイエス像の背後のそれのイメージ)で、彼を犠牲にしたから救われるという具合に…だからあの時二人の間の全てが変わってしまった。彼の復活はまさに奇跡であり、神聖。モリス自身が無神論者という設定が何とも皮肉。



というか、途中で観てて思った。Gossip Girl でこの映画のオマージュシーン出てくるよね!?シーズン5で、ブレアが「チャック死なないでぇぇ!」って神様に祈り「生かしてくれたら私もう会わないからぁ!!」、後に背後から「チャックさん、生き返りましたよー」みたいになるシーン。すごく聞き覚えのある内容と思ったら、本当にそうだ。この回のタイトルが"The End of the Affair?"でした。下は左がブレアさん(Leighton Meester)と右がサラさん。この二人、顔の系統似てるね。レトロが似合うお二人だ。




そしてムーアさん、イギリス英語ですね!!きました!ギャップ!といってもそこまでなかった…。そもそもセリフが少なかったな。



★★☆☆☆
Dir. & screenplay by Neil Jordan (ニール・ジョーダン)
Music by Michael Nyman
Cinematography by Roger Pratt
20121226

Gattaca (1997)




今回の映画は全くイギリスでもない、文学でもない、1997年の「ガタカ」というSFです。
あ、唯一「イギリス」ちっくな部分と言えば、ジュード・ロウが出てくるところかしら。かっこいいね。妙に嫌な感じの役がぴったりくるM字ハg彼ですが。…これでもほめてます。

このお話は"not-too-distant future"に設定されています。「そう遠くもない未来」。この映画ができてから15年は経ってますが、遺伝子でその人の将来がある程度予測できてしまう時代までは、もう少しかかりそう。





なにさま映画評 →→→→→さんでとてもわかりやすく解説されていて、こちらを読んで「うむうむ、ふむふむ」と思いながら読まさせていただきました。宇宙である意味、海のシーンの意味。他にもいっぱいガタカに関して解説されてるサイトさんはあるので、あまり今日は書かない!


この映画を観終わって思ったのは、なんだか爽快感がない。ちょっともやもやしたものが残ってる感じ。確かに、ヴィンセントは彼の夢を果たして宇宙へ飛び立つ。けれど、それで感動的な音楽に乗せられて、「あ~よかったね!!!」よりは、これってどうなの?と思うんだ。彼は30で死ぬだろうと生まれた瞬間宣告されて、けれど今のいままではなんとか生きてる。けれど、宇宙に行ったらどうなるだろう?もしかしたら土星に着く前に、今度こそ死んでしまうかもしれない。彼には将来って言うのが手さぐりで、常に体当たりしながら生きていかなければならない。しかもナレーションに、"We came from the stars so they say, now it's time to go back"(「俺たちは宇宙の星から生まれたと言われているけど、いよいよ戻る時がきた」)というセリフがあるけど、ここでもやっぱりヴィンセントが死んでしまうことを暗に示してるのかも。だからなんだと思う、安心してよかったねって言えないのは。hopeがない。


もちろん、ジュード・ロウ演じるジェローム・ユージーン・モローの最期も、そのもやもや感を助長させる。なんで彼は死んだのか?これも散々議論されてるとは思うんだけども…

彼は優等な遺伝子を持ちながらも、得意の水泳では常に2位という結果に歯がゆさを感じていた。そんな劣等感から、彼は自殺をしようと車の前に飛び込んだ。けど、死ぬことはできなくて、水泳もできない、足が使えない生活を送るはめになった。でもね、彼はきっとやけになって自殺を試みたんだと思う。というのは、彼が本気で死のうと思ったら未遂で終わることはないだろうから。周りから何の期待もされない自分になりたいという、ある意味現実逃避のような形で、彼は足を犠牲にしたんじゃないのかな。

ポスターに書かれてる"There is no gene for the human spirit"からもわかるように、どれほど科学が発展して、この映画の世界のように遺伝子がすべてという時代を迎えても、人間の精神だけは操作することができない。ユージーンには優等な遺伝子を持ってる者としてのプライドはあるけど、自分の弱い精神では十分に生かせることはできないと思って、第三者に自分の遺伝子を売ってみようと思ったんじゃないかしら。それは本当に自分の遺伝子は優等なのか、それとも自分が弱いから生かしきれないのかを確かめるという意味で。そこで印象に残るのは、ユージーンが刑事さんに「癪にさわるんだろ?俺にあんたが夢見るしかできないことができるってことがよ!」って言う場面。彼は、自分の遺伝子が優等である確信を得たからこそ言えるセリフだと思う。

ただこれは、この映画の中で二人いる「ジェローム」のアイデンティティに関わる部分だし、それ以上は深くなるから追及しないけど、とりあえずヴィンセントとユージーンの二人が居て初めて1つの完璧な個体となる(元々仲介者もお前たちクリソツだよ!!と言ってたもんね)。

で、ユージーンは死ぬわけなんだが…。
ヴィンセントがユージーンの代わりに彼の遺伝子で目標を達成したから、だとは思うんだけども。「ジェローム・モロー」というアイデンティティが完全にヴィンセントに持っていかれてしまったことで、ユージーン本人は抜け殻のような状態。アイデンティティを失くした彼は生きていく意味はもうないと思ったから自殺したんじゃないのかなと思った(ちょっと暗すぎ?笑)。焼身自殺という手段も、確かにロケットの炎を映すことによって私たちは理解するけど、ヴィンセントが度々言及する「原子に帰る」と同じように「塵に帰る」的な意味合いがあると思いました。彼なりの宇宙への還り方なのかな。

(ちなみにここのベストアンサーで感銘を受けたのが、「最後にユージーンのメダルが炎によって金になる」という部分。ほわーそういうことね、と。素敵だ。)


ただ気になるのは、ヴィンセントに"you just have to fill in the last two years of [Eugene's] life"と遺伝子売買の仲介者がいってること(スクリプトを見てるので、実際映画でそれを言ってたかは忘れましたが…)。これが本当だとしたら、ユージーンは遺伝子学的な余命があと2年しかないということになって、解釈が変わってくると思うんだけど…。

最後に、ジェローム・ユージーン・モローの名前なんだけど(Jerome Eugene Morrow)

あー、ジュード・ロウかっこいいわー。

Eugeneはわかりやすいね、gene(遺伝子)って言葉が入ってる。ジェロームも、genetics(遺伝子学)と同じ"ジェ"の響きがあるなーと思うのは深読みしすぎかな。実際は「聖なる名前」という意味らしいです。モローは、近い将来とか、朝という意味(tomorrowのmorrowと同じ)。なんとなく、ここだけで映画のテーマがわかりそう。



あとは、ユマ・サーマンの無機質感がかっこいい!黒白で、ガタカのストイックさを示すような衣装と、無駄のないオールバックのおだんご。冷たい、クールなまなざしと情熱的な赤い唇。建物とか小物とか(下のヴィンセントが読んでる本とか)にも言えることなんだけど、レトロ感と近未来感の融合がたまらなくいい。




★★★★☆
Dir. by Andrew Niccol (アンドリュー・ニコル)
Music by Michael Nyman
Cinematography by Slawomir Idziak


20121220

The Hours (2002)




英文学史の授業で紹介されていた映画。
ヴァージニア・ウルフについての映画ってあまりないと思ってたので朗報でした。

日本語タイトルは「めぐりあう時間たち」(正直、私はこのタイトルに納得してませんっ)。

あ、英文学カテゴリーに入れたのはV.ウルフについての内容なので。
原作はアメリカ人のMichael Cunninghamが書いています。




お話としては、「ダロウェイ夫人」(V.ウルフの著書の中では最も有名)を中心に、3つの時代それぞれに生きる3人の女性に焦点を当てている。まず1920年代に「ダロウェイ夫人」を執筆中のヴァージニア・ウルフ、1950年代にその「ダロウェイ夫人」を読んでいるローラ・ブラウン。で、現代の「ミセス・ダロウェイ」というあだ名がついているクラリッサ・ヴォーン。クラリッサに関しては、描かれている彼女の一日が「ダロウェイ夫人」の内容そのままとなっている。

しょっぱなのシーンがウルフの入水自殺から始まってそれで終わるように、結構暗ーい感じ。


3人それぞれが、傍からみれば幸せな生活を送っている中で、孤独を抱えている様子が描かれている。その中でもかわいそうだなと思ったのは、ジュリアン・ムーアが演じるローラかも。彼女にとっては「家」っていうのが苦痛でしかなくて、けれど戦争から帰ってきた夫にとってはそこが幸せだという。彼女の生活は、すべて戦ってがんばってきた夫のために作られていて、彼女本人の幸せではないことが、家の中での沈黙加減からもわかる。妊娠してるから余計にブルーになるのかもしれないけど、とにかく自殺しようとするまで追い込まれてしまう彼女は本当に見ててつらい。



同じく、リチャードはクラリッサのために生きてきたと言ってることから、AIDSに侵されてもなお、生きなければならなかった彼もきっと辛かっただろう。結局彼は自殺してしまったけれど。




ウルフでよく言われるのが「意識の流れ」の技法。それと「気づき」の瞬間。そういうのが、例えばこの映画だと卵を割る音や、街の喧騒というノイズを私たちに意識させることで、キャラクターたちの心情を描き出していると思う(苛立ちとか)。また、リチャードが遠い昔、クラリッサと迎えた朝が綺麗だったっと言っているけど、それはなんでもない、"ordinary"(「平凡」)な朝だった。それでも確かに、その瞬間だけは記憶に焼き付くほど美しかった。この映画は、そんな瞬間や「気づき」を愛しながら生きてゆくことが大事だと言っている。



きっと、ローラだってそういう瞬間があったかもしれない。けれど、彼女はそんなことに気を囚われている暇はなかった。彼女は孤独につぶされる前に、選択肢を選ばなければならなかった。ウルフも同様に。その選択肢は生きるか、死ぬかであって、前者は生きること、後者は死ぬことを選んだ。

その選択をする間の時間が、つまりは"the hours"なんだと私は思う。死を想うこと、生を想うこと。人は常に生と死の選択肢を選ぶときには、それについて考える時間が必要だから。この映画は各時代のそんな1日を描いたもの。人間って変わらないってことよね。その一日の何時間かの間に、3人はそれぞれの決断を下した(といっても、現代の場合はクラリッサというよりはリチャードに焦点を当てるべきだけど)。

だから「めぐりあう時間たち」っていうタイトルに納得いかないんだよね。「1冊の小説『ダロウェイ夫人』を接点にして、[それぞれの]時間枠たち(the hours)が“めぐりあう”物語」(ここ参照)だと言ってるんだけど、う~ん、と。確かに、ローラとクラリッサは"めぐりあう"しー?そうはそうだけどさぁ…。聴こえ的にもいいしね。これで仮に「生と死までの時間」というタイトルとかでも見る人はいないだろうし、第一なんの映画だよってなるわ。

いつも思うけど、邦題って本当に大変だよね。え、なんでそうなる?とか本当に適当なタイトル(なんか有名な作品もじったり)ばかりでたま~に「は?」って思う。英語が普及してない日本だと、やっぱりそのままのタイトルじゃだめなのかね。変に訳さなければいいのに、とよく思うわけですな。もちろん、いい邦題もたくさんあるけどね!


あとは、「死」そのものの問題か。ヴァージニアは「誰かが死ぬってことは、周りの者が生きてることをよりありがたく思わなきゃいけないってこと」って言ってるけど、本当にその通り。深く見れば、哲学的な映画かもしれない。とてもとても孤独感が強い映画でした。


ちなみに、「ダロウェイ夫人」ではお花が頻繁に出てくるけど、最初のシークエンスで各時代に登場する花が赤・黄色・青(だっけ?)でなんかかわいい。あとニコール・キッドマンのお鼻はつけ鼻だと知ってから、ずっと彼女の鼻に釘付けになってしまいました。あはは。



★★★★
Dir. by Stephen Daldry (スティーブン・ダルドリー)
Screenplay by David Hare
Music by Philip Glass
Cinematography by Seamus McGarvey

 

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