20130128

近況 (1/28)



更新ストップ中(T_T)

現在保留中の記事:

・メランコリア
・堕天使のパスポート


今日は妹の誕生日で、祖母からお花が届いた。
珍しく生花!




全て水曜日には終わるけど、ESラッシュが週末から始まるのですよ。
いつ映画見れるんだろ…しゅん。


今サミュエル・ベケットという劇作家の「しあわせな日々」についてのレポートを書いているんですが、難しい。不条理演劇で、本当に意味不明なんだけども、いろいろ考えさせられる。だから選んだというのに、やっぱり難しい。部分部分の解釈はできても、全体にどう当てはまるのかが分からない。

ちなみに自己と他者の関係について書いてます。
人間関係が希薄になってしまった世界が、この劇なのでは?という考え。誰も周りにいない環境で自分が存在している事を信じられるのは、結局は他人がいないとダメってこと。自分だけでは、本当に自分が存在しているのか分からない。誰かが自分を認識してくれることで初めて自己が確立する。誰かが聞いていなければ意味をなさない「言葉」と同じで。存在しなければ、死ですら意味がない。んーでも見当違いだったらどうしましょうーぽぽぽー。
4000字くらいが目安で、今グダグダ書いて3000なのでどうにかなることを信じるしかないです。アーメン。


20130115

Drive (2011)





今日は2011年公開の「ドライブ」。
これは原作もありまして、アメリカ人作家ジェイムズ・サリス(James Sallis)のDrive(2005)という小説。ハヤカワ・ミステリ文庫さんから出てるらしいですよ、よよ。


イギリスではないけど、キャリー・マリガン出てますっ!
しかし22歳とかそこらの役…この人はなぜ実際の年齢より若い役ばかりなのか。見た目幼いけども。それより映画俳優のキャリアは「プライドと偏見」からなのね…。キティ―というこれまた脇の脇役で今まで気づかなかった。「グレート・ギャッツビー」、期待してます。


話を戻して、友人たちが絶賛してたので(主にライアン・ゴズリングを)観てみた。なんというか、アクションちっくなのを想像してたけど、思ったよりグロい。15禁もうなずける。下手にグロいホラーよりもグロい、当社比ですが。なのでそういうの苦手な方々には心の準備が出来てから観るのをおすすめします…。私は無駄にびっくりしてしまいました。うわぁ・・・・・・・・。


都会で生きる、他人に無関心な名もなき「ドライバー」が真の人間として成長する過程を切なめに、時々グロめに描いた作品、かな。





しかし観客を良く惹きつける、上手い導入シーンだなーと思う。
キレの良い、上品な運転でカーチェイスを繰り広げる"ドライバー"。この前の「アウトロー」でのトム・クルーズとは違って、計算されつくした計画や、冷静で余裕さえ感じとられるような横顔から「あ、こいつは頭いいんだ」という印象を受ける。

けれど、やっぱり観客にとっての一番の関心は「こいつは何者なのか?」ということ。でもこんな(悪い意味ではないけど!)間の抜けた顔のドライバーに犯罪なんて似合わない…けれど強盗を助けてる…悪者?という疑問も、最後に車を捨てて一人で駐車場から立ち去る姿から消える。「あぁ、この人は何者でもないんだな」って。それは彼に名前がないこと、その匿名性からも想像できる。その後に映る都会の俯瞰シーンが彼という人物を良く説明してると思う。他人に無関心で、上辺の助けはするけど深くまでは関わらない都会のような孤独な人間。モーテルのような場所を生活の拠点にしていて、生活感などまるっきり求めていない。

彼のスタントマンとしての仕事や、強盗のドライバーをしていることは、どちらも刺激を求めているから。自らがアクションスターになることや、銃を握って殺すことが目標でない。そういう意味では「車」というのも一つのキーワードなのかな、と思う。車は世の男性が憧れるもの。車を運転するという行為は、彼にとっての夢や希望なのではないか。そこから彼は刺激を受け、もしかしたらその快感を目的に生きてきた。


そんな人間が、アイリーンに出会う。
彼女の部屋は同じ階にあるのに、とても生活感があって温かい。ドライバーとは違って、「家庭」がある部屋。それも、壁の絵も壁紙も花柄で、とても女性らしい。彼女そしてベニーシオと一緒に過ごしていると、その温かみがわかってくる。「家族」という安定した基盤の居心地の良さ。始めの方だと昼間の太陽が出てるシーンが多い。爽やかで暖かな雰囲気。ドライバーからもいつもの無表情ではなく、笑みがちらりと見えてくる。ここらへんのシーンの挿入歌に、"keep me under your spell"(「あなたの魔法にかかっていたい」)という歌詞があるけど、二人ともこのひと時の幸福がずっと続いてほしかったと思っていたはず。



そんな時間も、アイリーンの夫がムショさんから帰ってくると変わってしまう。どんどん、世界が不安定なものになってくる。ドライバーは自分がそこに居てはいけないことを察知して、夫がケンカのようなものを吹っかけてきそうになったときも穏やかに対応した。家族の温かさを知ってしまったから、それを何がなんでも守ろうという正義心が芽生えてしまったのかねぇ。



そこから彼はガチで無表情でこわいこわいこわい殺人鬼へと変貌する。いいすぎか。


このシーンの撮影した時がものすごくキニナル…
後ろのお姉ちゃんたち的な意味で


ただもう見てられないくらいに痛そうなんだもん…。バーニーがフォークやらをピーに刺すのも。踏んづけて殺すとかさ、もう狂気だよ。あの時の踏ん張り気味のライアン・ゴズリングの顔を見るだけで、軽くB級グロ映画でも見てるのかという錯覚に陥ったよ。

彼がニーノを殺しに行くときにスタント用のマスクを拝借する。この時点できっとドライバーはもう殺したくはなかったけど、自分の命にかかわる事だもんね。一大事だもんねー。「ドライバー」ではない、また別の匿名人物になりたいという願望、あるいはそのマスク・ガイというアイデンティティを持った、自分とは別人が殺しを行っていると解釈したかったのかも。とりあえず、こんな残忍なことを自分はやってないと思い込みたかったのだと思う。まだ、自分には今まで通りの自分として生きることができる希望みたいなものがあったのかもしれない。


それも、度々表れる車内のシーンで、ドライバーは自分の罪を意識するようになって、無理だという事を知るんだと思う。特に、赤信号で止まってる時に赤いライトが顔に当たっているこのシーン。彼がもう血を浴びていることを意味していて、同時にこれ以上はダメだという忠告なんじゃないかな。けれど彼の表情はもう決意を固めたそれ。


だから結局、彼は自分が持ってしまった感情に気付いてしまって、降参する。少し前に書いたように、都会の沢山の明かりは彼の夢や希望の数を表している。それが最後、真っ暗な道を走るシーンで終わってしまう事は、彼はもうそういった夢を持つことが許されない身であることを暗示しているから。バーニーを殺した時の「影」のカット。ドライバーはもはや影を背負ってしか生きていくことが許されていない。アイリーンとの生活やカードライバーとしての表舞台という、彼の希望や夢をも失ってしまったことを意味する。

しかしそんな彼は"real human being"(最後の挿入歌参照)になることができた。無関心で冷淡な人間ではなく、愛や憎しみを覚えた「本物の人間」として。強盗のお手伝いさんも、スタントも、都会も捨てたことで「ドライバー」という縛り、匿名性から抜け出せたこと。それはある意味、それは今回の出来事からの収穫なのかもしれない。エンディングは暗いものではあるけれども。

「ブルー・バレンタイン」のような、あそこまで後味悪い感じではないけれど、悲しみや孤独が残ったエンディングだったなーと思う。というか、友人のところに書いてあったFifty Shades of Greyへの出演、まじですか。この人は万能型を目指してるのかな。私、ライアン・ゴズリングの顔見るたびに2.5枚目だな~という印象しか受けないんだよね。なんとなく、ちょっとピエロっぽい。おどけた感じw(失礼にも程がある笑)

だけど、実際彼の「目」っていうのはこの作品では欠かせないものだと思う。ちょっと斜視なゴズリングの目は、この映画に雰囲気を与えていること間違いない。時にクールに、時に無表情に、時には優しめに。セリフが少ないからこそ生きてくる彼の表情や動き、体のパーツは単純にすごいなーと思いました。




監督さんはデンマーク人なのね。なんとなく、だから無駄のない洗練されたスタイリッシュでクールな感じが出せるんだな、と納得。北欧系~。
あと音楽のチョイスも素敵。あーいうぬるーい感じ、好き。



★★★☆☆
Dir. by Nicolas Winding Refn (ニコラス・ウィンディング・レフン)
Screenplay by Hossein Amini
Music by Cliff Martinez
20130109

Jack Reacher (2012)





日本では2月1日に公開の映画「アウトロー」を観てきました。
友達ちゃん、ありがとう。プレミアム試写会は初めてなの。いひ。
この作品はイギリス人作家Lee Child(本名Jim Grant)の同タイトルのシリーズ作品に基づくもの。
ということは、この映画シリーズはどのくらいやるつもりなんでしょうか…





それよりなにより言いたいのは、某T氏。噂には聞いていたけど、まったくもって酷い通訳…。
なんだかトム氏がかわいそうになってしまった。
いいのか、トムよ。君の言葉は半分も伝わってなかったぞ…。



この手のアクションはあまり観ないのでなんともいえないのだけれど、映画館で楽しむことができる娯楽映画という印象。息を持って行かれそうなくらいに響き渡る銃声、カーチェイス時のハラハラするブレーキ音、…あ 爆発はなかったよ!そういえば!

きっと家でDVDとして観るには少々物足りなく感じてしまうかもしれない。私だったら地上波でやってたら観るかな~という感じ。(アクション大好きではないからかも)

それよりも、明らかに自分の心臓(というか体)が跳ねるのが分かる映画館の方が楽しいと思う。なので映画館で観る方がいいと思う。映画館プッシュしすぎか笑。


それよりなにより、ロザムンド・パイクが激かわいい。


ナイトレイ版の「プライドと偏見」(2005)の長女ちゃんなんだけど、やっぱりかわいい…。
あの素朴で、きつくない金髪とふんわり感がすごい好き。
それなのに声は低めっていうね。もうこれはギャップ萌え。
はあああかわいいいい。

この先、ネタバレ有。






















コメディー部分が多かったのも面白かった。ちょっとしたジョークだけじゃなくて、ちょっとした流れもコメディーになってたりして。あとは、相変わらず「ヒーローだぜ☆」感が満載なトム氏だわー。いよいよフィクションの中の人物になってしまいそうで怖いくらいに。というか、ふと思ったけど、何とか社っていうのはどうなったんだーーー。もやもや。

あと気になったのは、敵側の多様さ。検察側での黒人がまさかの…!という部分には「ほう…」と思った。そして黒幕がお前何人だよ、シベリアン囚人みたいな。そして子どもを持つ親を考慮してなのか、銃を捨てるシーン。殴り合いには笑ってしまったけど。いちゃこいてる部分もそんななかったわ。そういうものなの?


しかし、邦題は「アウトロー」なのね。なんだか社会からの外れもの、つまり日本では社会からの視点に着目するのに対して、個人名のJack Reacherがタイトルの元はとてもアメリカライクだなーと感じた。



ある市で起こったある事件で色んな人が巻き込まれている物語なのに、現実感がなくてとても夢の中の物語のようだった。舞台設定は現実なのに、少し乾いた雰囲気。不思議な世界でした。



★★★☆☆ (2.5)
Dir. and screenplay by Christopher McQuarrie (クリストファー・マッカリー)
Music by Joe Kraemer
Cinematography by Cakeb Deschanel
20130101

The Remains of the Day (1993)






あけましておめでとうございます。
今年の抱負は「脱☆三日坊主」です。よろしくおねがいします。
今年の目標は映画60本より多く観ること!にしようかとおもいましたが、
最近量よりは質(というよりイギリス)なのでどうなることやら。
90年代物も含め、古めのを観ていきたいです。



そしてそして、昨年やり残していた記事が…。最後で最高の映画でした。


1993年公開の「日の名残り」です。原作はイギリス在住の日系2世カズオ・イシグロの同タイトルの小説(1989年)です。最近公開された映画「私を離さないで」(Never Let Me Go)の原作の作者でもあります。イギリスらしい小説も書いてるんですね…。私はヴィレッジ・ヴァンガードで買った「私を離さないで」の和訳に挑戦したんですが、挫折しました…なつかしい大学受験前の話。かれこれ3年ちょい前ですか。あれ以降イシグロ恐怖症で挑戦してません…そろそろ原文で読んでみようと思います。

ちなみに、この映画は「ヘリテージ映画」(heritage = 財産や遺産という意味、world heritageって書く”世界遺産”のそれねー)と呼ばれる、「イギリスらしい」映画の一つ。この「ヘリテージ映画」たちは90年代あたりに、映画館での観客がハリウッド映画に奪われてたため、それに対抗する形で作られたんだとか。







ほわー。素敵でした。
この一言に尽きる。主人公は執事なんですが、これがまた良い。きっと元来ならば、支配層(この場合ダーリントン卿など)をメインに描くことのほうが断然多い。けどそうじゃなくて、あくまでも主役は労働者階級の執事。彼の身分からして、たとえ主人が合っていようと間違っていようと、自分の意見はいえない。けれど、「紳士」と呼ばれる人たちの元で育ってきたからには、それなりの教養や考えもあるはず。その間で主人公は揺れる、ジレンマを感じる。



ごく簡単にお話の内容:

主人公のスティーヴンは、侯爵でもあり政治家でもあるダーリントン卿にずっと仕えてきた。しかし侯爵の死後、そのダーリントン・ホールはとあるアメリカ人の富豪が購入し、スティーヴンは彼に仕えることになった。そこで女性のスタッフとして、以前そのお屋敷で働いていた(そしてその頃手紙をもらった)ミス・ケントンはどうか?と考えるようになる。ダーリントン・ホールが売却されるまでの経緯をスティーヴンの回想という形で、第二次世界大戦目前の時期を中心に物語が展開される。(まったくもって意味不明なのでgoo先生を参照してください、ぺろ)


と執事のお話なんだけど な ぜ か ロマンス。ミス・ケントンとの「あれ?もしかして?」止まりの。
歯がゆいねぇー。というか熟年ラブ?なんか、どっちも歳が行き過ぎてるように見えてしまって…。それよりアンソニー・ホプキンズが某ニュース番組のOさんにしか見えなくて焦った。エロおy… おやおや、だれか来たようですね。

共感できなかったので彼らの関係についてはかかん。


まずしょっぱなのシーンから分かることは、アメリカとイギリスの関係。ダーリントン・ホールのようなカントリー・ハウスはイギリスの上流階級の象徴ともいえる。それがイギリス人からイギリス人の手に渡ったならまだしも、アメリカ人ときたもんだ。しかも富豪。第二次世界大戦後は、もはやイギリスが世界をリードするような世界ではなく、アメリカが世界一という状況。そんな状況を作ったのは、皮肉にも、この屋敷の持ち主であったダーリントン卿その人。


回想される過去の1938年、このダーリントン・ホールでは様々な「会議」が行われていた。この時点で、私たちの感覚からするとおかしいのかもしれない。仮にも家であり、私的な空間である場所で、ナチスとの今後の関係をどうするか話し合う(そしてそこでの意見がそのまま実際の政治に反映する)とか、公私混同にも程がある!しかもその会議とやらが全くオハナシニナラナイ、みんな子どものように好き勝手する間に進む(フランス人のデュポンとか、もはや笑う)。そしてナチス相手を、従来のように「徳」と「偽善」でどうにか解決しようとする。そりゃあルイス(アメリカ人)も批判するわけよ。「お前たちはみんな立派な紳士かもしれないが、政治においてはアマチュアだ」と。よくぞ言ってくださった!(ぱちぱちぱち)

こーんなおうち。

そんなとある「家」での決断が、歴史にも残る大戦争を引き起こしてしまった。それは間違いなく、ダーリントン卿をはじめとしたヨーロッパの「紳士」たちの安易で、非プロフェッショナルな考え方によって。「家」の中で行われるようなままごと遊びでは、もはや通じない世の中になっていたことを、彼らは気づいていなかった。たぶん気づいていたけど、目をそむけていたんだと思う。

伝統を重んじるばかり、そして秩序を重んじるばかり、ルイスのようなアメリカ人(「新しさ」「ラディカル」の象徴)の若造の意見なんて聴こうとも思わなかった。彼らの存在自体がアナクロニスティックだったのに。後にこのダーリントン・ホールの所有者となるのはルイスなんだけど、彼がその時言った事(アマチュア発言)に関しては、「僕何言ったっけ?まったく覚えてないや」と言うあたり、きっとアメリカの衰退はこれからだと言いたいのかな。

from www.moviescreenshots.blogspot.com

アメリカはヨーロッパのような歴史や伝統がない。だから彼らは伝統にある種の憧れを抱いているわけで、そんなことからルイスもイギリスのカントリー・ハウスなんかを買ったのかもしれない。けど、これは今のアメリカの物の見方や仕方が、やがてはWW2前のイギリスのように時代遅れになってしまうかもしれないこと、そしてまた過ちを犯してしまうことをも示唆しているのかも。


話を戻して、ここで行われている「国際会議」は聴こえは立派かもしれない。けれど結局は家の中のままごと遊び。そしてその裏で、その参加者を支えている執事や使用人たちの間の問題はドメスティックな事柄だけど、両者には優劣がない。同じレベルの事だということ。




裏の世界(使用人の世界)でフォーカスされているのは、スティーヴンの父であるウィリアムの事。ウィリアムは高齢すぎて給仕がもうできないような状態にあるわけだが、それを認めたくないスティーヴンは誰が何と言おうと、父に給仕をやらせる。スティーヴンがトップの執事であるため、上下関係が逆転しているのがまたまた厄介。本来なら父親が最初であるところ、息子が上なんだから。

最終的に、スティーヴンがしきたりや父を敬うといった価値観はもう存在しないのだと気づかされるのが、上で話したルイスのアマチュア発言の時だと思う。執事のプロは「名誉」(honor)によるものではなく、能力によるものであるという事に気づかされた。スティーヴンは、ミス・ケントンにも「父にはもっと敬意を払って」と言っていた(名前で呼ばないで、ミスター・スティーヴン・シニアとでも呼べ!ってセリフからもわかるように)。けど、それは自分が老いていく父を見たくなかったから、自分の職業に誇りを持っているから、同じ経験を積んだ父が無能な姿を見たくなかったから。それに気づいた時には、ウィリアムが息を引き取ってしまうのがうるうるポイントだねー。


父と子の関係は、カーディナルとスティーヴンにも当てはまる。カーディナルの代父であるダーリントン卿に、「コウノトリが赤ちゃんを連れてくるわけじゃないのよー」的なアレを教えてやってくれと頼まれてしまう。けれど、その会話はいつも何かにさえぎられてしまって、結局することができない。それは、ドイツ人(ナチスの人?)がお屋敷に来た時もそう。「いつも君と話がしたかったよ」というまだ若いカーディナルと歳を取ったスティーヴンには価値感が違う。身分が違うわけだから。結局その時も、カーディナルが事を重大さを知らしめるのにスティーヴンはぼーっと、他人事のように自分には無関係だという。スティーヴンは、伝統を重んじる世代と新しいラディカルな考えを持つ世代とに挟まれてしまっていて、労働者だし執事だしなのに更に窮屈そうでかわいそうだ。


スティーヴンは、後にカーディナルが死んだと告げている(しかも淡々と…内心はそうでもないんだろうけど)。彼が死んだのはDunkirk(ダンケルク)で、これはWW2の中でも重要な戦いだったらしい。ここではドイツ軍が勝ったけど、チャーチルの作戦(ダイナモ作戦)で数十万人の兵士が救出されたらしい。映画「つぐない」でもこのシーン出てくるねー。




印象的だったのは、ワインボトルを割ってしまうシーン。


このワインは1913年のもの(Dow 1913)なんだけど、1913年と言えば第一次世界大戦がはじまる直前の年。つまり、このワインの破損は第一次世界大戦と同じ事が繰り返されてしまうことを表しているのだと思う。伝統と秩序がまだ重んじられていた時代の物、そしてその瓶が割れて真っ赤なワインが血のように流れ出す。上で密かに行われているドイツ軍との密会、そこでの何らかの見解の一致(イギリスのナチスに対する宥和政策)。それによってもたらされる戦争、そして繰り返された歴史への後悔。これは同時に、スティーヴン自身のミス・ケントンとの恋が実現しなかったことへの後悔も描いているのだと思う。執事という自らの考えを表に出さない職業柄、自分の本当の気持ちをミス・ケントンには言えなかった、それに対する後悔。切ないー。





このお屋敷、ロケ場所はDyrham Park(ダイラム・パーク) という場所。めーーーっちゃ広大。
やっぱりイギリスの緑好きだ。





この本にも「イギリスの階級制度」について書いてある箇所に、この映画が言及されてます。古い映画から最新の映画までカバーしてて読みやすいなーと思う。イギリスはもちろん、アメリカ文化についても触れているので興味があれば是非一読を:)


今日、ちょうど文学におけるMarxismの支配層ではなく彼らを支える側の視点の文学があまりないっていう批判?に触れたんですけど、これはその支える側ということになるのかな。なんて考えたり。ま、違いそうー。

相変わらずの読みにくい支離滅裂文章だわー。




★★★★☆ (4.5)
Dir. by James Ivory (ジェームズ・アイヴォリー)
Screenplay by Ruth Prawer Jhabvala
Music by Richard Robbins
Cinematography by Tony Pierce-Roberts
12/28/2012
 

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