20130216

Savage Grace (2007)



"Truth is more shocking than fiction"

借りました。
2007年の「美しすぎる母」。
エディさん見たさです。クゥッ!かわいすぎる。
彼の素朴な感じ、たまらない。

ママンこと実際のバーバラ
(murderpedia.org)
1972年11月にロンドンで起こった「バーバラ・ベークランド殺害事件」を元にしているのだとか。
そういう意味では、とても興味深い内容。




でもこれもタイトルがちょっとヨクワカラナイ。
トニーは母親が”美しすぎる”から関係を持ったのではないし、美しさというのはそこまで強調されていないのではないかと思う。原題のSavage Graceの方が的を得ている(そりゃあ原題だもん)。けどお話が加害者であるトニーではなく、この出来事が起こるきっかけとなってしまった母親に焦点を当てたのは素晴らしい点なのでは。だからこそ複雑なお話をすっきりと語ることに成功しているから。

「もう少しだけトニー登場させてやれよ」感は無きにしも非ず(単に私が観たいだけ)。
思うにトニーの内面っていうのは、私たちには結局のところ、わからない。
私たちからしてみれば、母親を殺す事って理解できないもの。
だからこそ彼の心情っていうのは分からなくてもいいのかも。
この映画は、その原因はバーバラにあるという点を言いたいのだから。




トニーの話。


成長したトニーが出てくるシーン素敵すぎる。
海のシーンとか、ボーダーのトップスとかワイシャツとか、本当に爽やかが似合う!
レッドメインの見た目の幼さだとか、穢れを知らなさそうな純情さだとかが、トニーという役に合っていると思う。
ちょっと現実離れしたぼーっとした感じとかが、うじうじした根暗さんにも見える。


で、彼のこうした無垢な”怖さ”が際立っているのが母親を殺した後。
怯える様子もなく、取り乱す様子もなく、淡々としている。
ぼーっとタバコをふかしてみたり、電話で「すごくお腹が減ってるんだ」って中華のデリバリー頼んで、死んだ母親の隣で普通に食べたり。


トニーに感情移入してしまう事を、私たちは恐れる。
けれど彼がどう考えていたとか、彼の心理状況というのを私たちは分かっているんだと思う。
(さっき言ったこととは矛盾するけども)

だからこそ、最後のシーンはとても衝撃的なんだ。
彼がタバコふかしたり、食欲を満たしているのを見て、心のどこかで、私はすっきりした。
誰にでもあり得る状況という恐ろしさだ、と感じさせる所がこの映画のすごい所だと思う。


実際のアントニー・ベークランド。整ってるね。
(left: photo by Christopher Barker / right: murderpedia.org)


まさに、人間の環境というのがどれだけ危険な影響を人格に与えられるか、ということを具現化した映画だと思う。


あともう一つ:
1907年にフェノールとホルムアルデヒドの反応時の圧力と温度を制御することで、完全な人工合成樹脂「ベークライト」の合成に成功 
(中略)
ベークライトは製造の過程で爆発の危険があるなどしたため、その後、改良されたプラスチックが普及し、1960年代には姿を消すことになった(wikiより)

色んな人が言っているけど、
この物語はトニーをベークランド一家をお金持ちにした「ベークライト」という物質になぞらえている。
冷たい父親と情熱的な母親の「温度差カップル」の子供として生まれたトニーは、
最終的に彼を制御していたものが外れて”爆発”してしまう。

母は彼の同性愛的傾向を直そうとしたけど、父は彼自体を見放してしまったた。
終始、彼は父親に戻ってきてほしいと思っていて、このお話自体も、彼が父親に宛てた手紙のナレーションで終わっている。もし父親が彼を見放さなければ、トニーは母親を殺すことはなかったかもしれない。

彼は無責任な両親が作り出した産物であって、彼が果たして有罪なのかどうかは、判断することがとても難しい。なにより、トニーは人間というより「所有物」、言ってしまえば「物質」として扱われている。彼がフランス人の前で朗読しなさいと母に言われたのも、それは完全にバーバラの満足のため。彼は母親を満足させるための道具でしかない。

終始無機質なトニーは、最後ようやく自らの感情を表すことができた。
けれど、その表現の仕方が母親を殺すことというのは、なんとも皮肉。




あーーーー
私のオシメンのヒュー・ダンシーも出てるのに、今まで観てなかったのは悔しい。


スリーサムはなかなか魅力的なものがあります。
バーバラは、いらなくもないけど。はは。



★★★☆☆
Dir. by Tom Kalin (トム・ケイリン)
Screenplay by Howard A. Rodman
Music by Fernando Velázquez
Cinematography by Juan Miguel Azpiroz
2013.02.05.
20130208

Melancholia (2011)


 


今回の映画は2011年公開の「メランコリア」です。
某レンタル屋さんで今現在は準新作でした。久しぶりに準新作~:)
このポスターにもイギリスポイントが!笑
というのも、英人画家ミレーの『オフィーリア』がこのイメージの元なんですが、シェイクスピアの『ハムレット』中の悲劇のヒロインが、このオフィーリアです。


で、映画のこと。
とーーっても面白かったです。私は好きでした。
元から宇宙的なものに興味があるのに加えて、この映画は人間の感情の描写がすごかったのが良い。
もし巨大な惑星が地球を直撃した時、人間はどういった行動をするのか。どういう心理になるのか。
そんな人間の真の姿が、4人の人々を通してリアルに描かれていると思います。




そのリアルさっていうのは、映像にあるのでは。
この手持ちカメラの独特なブレ。序章以降からずっとこの手法なんだけど、それがリアル感を与えていると思う。特に第一章の「ジャスティン」では、これがプラスに働いている。内容はジャスティンの結婚披露宴なんだけども、ここでのポイントはジャスティンの不安定さ。彼女の病的なまでの鬱っぽさが、結婚式のホームビデオに記録されているこの感じ。見てはいけない物みたいな、例えば誰かの日記みたいな、そういう感覚に陥る。ジャスティン自身の得体の知れない、漠然とした不安がにじみ出ていて、それがぶれる画面を通して痛いほど伝わってくる。

そして同時に、これから起こる出来事への緊張感が徐々に増してくる。このなんでもない平凡なカップルの結婚式で、マリッジブルーと言えるような気分になっている新婦。それも、きっとメランコリアの仕業。月が狂気を引き出すというように、メランコリアはその名の通り、メランコリックな(陰鬱な)気持ちをジャスティンに与えている。




このメランコリックな気持ちは、後の第二章で彼女の姉や義理の兄の理性的で科学主義な傾向とはジャスティンが正反対である事をも示唆している。ジャスティンの仕事は広告でのコピーライターで、そこからも彼女が直感や感情を重視している性格だということができる。披露宴の裏で、現代美術といえるような図形だけの無機質な絵を、彼女は直感的に選んだ絵で飾りなおした。上からブリューゲルの『雪中の狩人』、『怠け者の天国』、ミレーの『樵の娘』、カラヴァッジョの『ゴリアテの首を持つダビデ』、そしてまたミレーの『オフィーリア』。(Google image先生より拝借)






これらの共通点としては、(カラヴァッジョを除いて)ブリューゲルはルネサンス、そしてミレーはルネサンスを模範としたラファエロ前派であること。どちらも「人間」を重視する人文主義的な傾向を持っているということになる。無機質で現代的な図形よりも、人間味があってオーガニックな絵を瞬時に並べる彼女の感覚は並みならぬものだとおもう。

第二章では、ジャスティンが超能力的なパワーを持っていることが示唆される(678個のビーンズ)。つまり、彼女はきっと不条理さや偶然や精神を尊重していて、だから秩序がある現代がどこか苦手だった。更に言えば嫌っていたのかもしれない。結婚という制度も、離婚した父と母を見ると分かる。常に親から見放されていた自分が、いずれ親というものになるということ。全く性格があっていない父と母を見ると、ジャスティンも自分とマイケルとの関係について疑わしく思ってしまうのも無理はないと思う。




こんな感じで秩序立っているお庭。科学的な思考が溢れ、欲まみれの世界は彼女には合っていない。そういう、人工的なものに対する不信感や彼女の上司や義理の兄のようにお金と欲を持った人間への不信。それがカラヴァッジョの絵の意味なのかもしれない。巨人を殺すことは、つまり欲にまみれた魔物みたいな男たちに制裁を与えるということ。ここでいうダビデがジャスティンであって、ジャックやジョンが殺されたゴリアテの首。正義(justice)でもってジャスティンが彼らに制裁を与えた、とか?ただ、ジャックは罵倒され、ジョンは侮蔑的な対象だったわけだけども。



クレアという人物も興味深い。
理性的であるような態度を示しながら、実は一番死を恐れている。これがはっきりとわかるのはラストのシーン。最後のシーンで、ジャスティンとクレアと息子ちゃんは、惑星の衝突に備えるわけだけども。三人の死の迎えかたがとてもリアル。クレアは手を放して自分を匿うようにして、おびえている。それに対して、ジャスティンと子供は瞑想しているかのように静か。


こういった感じで前半と後半では、クレアとジャスティンの立場の逆転している。前半ではクレアがジャスティンの面倒をずっと見てたし、後半のはじめの方もそう。けど、段々メランコリアの「死のダンス」が確実である事を知ると、なぜかジャスティンがクレアをなだめるようになる。678個のビーンズの事を話したときに、クレアがジャスティンの所へセラピーに来たみたいな配置になっている。

そういった意味では、科学者側(ジョン)対感情論・精神を重視する側と、大きく二つのグループに分かれていて、どちらが正しいのか。結局は感情に人間は支配されてしまう。科学主義よりは人文主義的なんだろうな、監督さんの見解としては(絵画の所でも説明したように)。お話中にちりばめられている聖書的な要素もそれを裏付けるんじゃないかな、と思う。新しい土地の写真に出てくるりんごの木。ジャスティンのパーティー自体が最後の晩餐的だと思う、旦那さんが裏切りのユダ的人物としてジャスティンを置いて行ってしまうのだから。

ジャスティンだって、聖人なわけじゃないし。
彼女が息子ちゃんに話す時だって、彼女の不安が明白に表れている。




あと、オープニングがとても不条理的で不自然なイメージで面白いと思う。それは異常気象とか、何かが起こる前兆としての「異常さ」を表していると思うんだけど。それらが全てスローモーションで、それに対して速いスピードで交差する二つの惑星を交互に映し出すことで、その後に起こる衝突への焦燥感だったり緊張感を生み出している。
実際、私も目が離せないほど惹きつけられたし、とてもショッキングな映像だった。



音楽の効果もすごいと思う。



ワグナーの「トリスタンとイゾルデ」。ケルト起源のお話 :)
(地味に2006年の映画ずっと見たいとか思ってたけど見れてない…)

怖くて、絶対何かが起きる!感じプンプンしてドラマチックなんだけど、なだめてくれるような音楽でもあると思う。で、ワグナーの音楽ですが:
この作品は愛の究極的な賛美であるとともに、その一方で、感情的な体験を超えて形而上的な救済を見いだそうとするもの(wikiより)
まさに、ジャスティンとか息子ちゃんが最後に求めているもんじゃないのかな(「形而上的な救い」)。

クライマックスの前にクレアは「みんなでテラスでワイン飲みながら最期を迎えよう?」と言うけど、それをジャスティンは拒否する。結局ティピィ(ネイティブ・アメリカンが住んでたテント)みたいなものを作って、布もない無防備な状態のそれで、最期を迎える。

ここでネイティブ・アメリカンを持ってくるなんて…!と思いました。あれだけ西洋の絵画やら科学やら「文明!」と感じさせてくれる物を引っ張っておきながら、最終的には文明でもなんでもない、むしろプリミティブで人間や精神的なものでもって締めくくっている。人間の存在意義とか科学の無意味さが表れてるなーと感じました。



興味深いー。色んなものがうまくちりばめられてる作品だなと思った。
鬱の時以外で、哲学的なものが観たい!
もしくは、綺麗な映像がみたい!方にはおすすめ。
これも北欧系の監督さん。北欧系万歳!


ようやく書き終わった…


★★★★★
Dir. and screenplay by Lars Von Trier (ラース・フォン・トリアー)
Cinematography by Manuel Alberto Claro
2013.01.18.

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Hindenburg (2011)




試写会当たったので、行って観ました。
2011年の「ヒンデンブルグ 第三帝国の陰謀」。


ですが!

初っ端からザワザワ…
あまりにもオープニングがチープすぎて、私は何を見に来たのか一瞬不安になってしまった。
なんかロックな音楽流れてるし…。だいぶ焦った。





内容は壮大でおもしろいんだけどね。
実際にあったヒンデンブルグの事件(飛行船墜落事件)を、じつは背後にナチスとアメリカ(の企業)との関係が絡んでるんじゃないか?という視点から描いている。


だれが関与していて、なにが起こってるのか。
はらはら どきどき。


だけどやっぱりチープ。
撮り方とかがあまり好きではなかった。最初のほうとか特に。
そしてグロいグロい。
あとタイタニックちょっとイメージしすぎじゃない?と思うCGだったな。


ユダヤ人問題とか出てきて興味深いは興味深いけど、もっと掘り下げてくれたらよかったのに。
結局金に走るゲシュタポもわけわからない。
ナチを登場させるなら、もっと関与させてもよかったんじゃないかな。
その辺薄っぺらくみえて不満。



うん。
あとどーーーーーーーしても、主人公が好きになれなかった。


下手したらエモなアーティストのミュージックビデオを永遠とみてる気分。
そしてあまり演技上手くない・・・?ドイツ人だから英語になると苦手なのかな。
殴られるシーンだけがとても印象的。


女の子はかわいかった。アレクサ・チャンみたい。
と思ったら、Lie with Me (「寂しいときは抱きしめて」)のお色気のお姉やん。


それより衝撃的だったのが、これまさかのテレビ映画なんですかっ!
なんかとてもだまされた気分!笑
無料で良かった…とか言っちゃって。
これを映画館で見るくらいなら、BBCのテレビ映画やってほしいわ。切実。


完全にエンターテインメント映画だけど、これといってすごいアクションシーンがあるわけでもなく。
平凡な映画でした。ちょっと、いや、かなり期待はずれでした。


★☆☆☆☆
Dir. by Phillip Kadelbach (フィリップ・カデルバッハ)
Screenplay by Johannes W. Betz
2013.02.07.
20130205

Dirty Pretty Things (2002)




イギリス映画!
1月に観たまま中々手が付けられなかった2002年の「堕天使のパスポート」。
イギリスの社会問題、不法労働者たちの様子が描かれている作品。


オードレイ・トトゥかわいい。とてもかわいい。あこがれ。





箇条書きで下書き保存してあったんですが、そんな感じで今回書こう。


・Dirty things=社会、pretty things=その中で存在する純粋な心がオクウェとオドレイ

・多民族主義的ロンドン、あるいは異文化にあふれる都市の象徴。
 白人イギリス男性の登場はほとんどない(移民局でさえ、人種が異なる人もいる)
 むしろ、白人=悪者という構図
 →難民や、オクウェのように事情があっても「違法」は悪いことなのか?

・言語もろくにできないのにパスポートをゲットする。
 お金でなんとでもできる。
 人種と国籍が一致しない。つまり、もはや現代では意味のないものなんじゃないか?

・正しく在住する権利のある移民すら、能力相応の仕事に就くことができない。
 →イギリスが抱える労働問題、自国民が移民によって仕事が奪われる。
  それは今に限ったことじゃなくて、昔から。労働者階級と移民の関係。

・焦点はオクウェであるはず(なのにたまにブレる)

・移民の生きづらさ、多様さ。

・底辺は底辺らしく違法な事をしないと生き残ることができない。何かを犠牲にしなければならない。

・無実な人が果たして違法滞在で罰せられるべきなのか?あるいは寛容であるべきなのか?けどその場合どのように線引きすればいいのか?

この人、Sherlockに出てこなかった?

・人の為に良いことは、果たして違法で、他人を傷つけるものでも善なのか。
 →悪い意味での資本主義的考え。
・ホテルでの出来事、工場、車、病院は全てお金に関係する。資本主義的。





・緊張の瞬間。オドレイ+パスポート+敵だった国側の人たちを手前に映すことで社会からの承認。しかし、実際に承認を得たとしても、良い生活が待ち構えているわけではない。

・最後の音楽、絶望とまではいかないけど、希望もあるわけではない。どこか暗い後味。

・画面の色彩から受ける印象:冷たい。
それに対して赤を基調としたホテル=温かさ(移民擁護、けど飾られた安心)


シリアスな問題ではあるけども、イギリス文化を垣間見ることできるのと同時に考えさせられる。イギリスもアメリカと同じように人種のるつぼであること。けれど、実際彼らに対する風当たりはアメリカよりも厳しいのかなーと思ったり。


P.S. 「メランコリア」については暫しお待ちを…。


★★★☆☆
Dir. by Stephen Frears (スティーヴン・フリアーズ)
Screenplay by Steven Knight
Music by Nathan Larson
Cinematography by Chris Menges
2013.01.16.

Another Earth (2011)




観てみました、2011年公開の「アナザー・プラネット」。
低予算SF映画ですが、2011年のサンダンス映画祭で審査員特別賞受賞作品。
(サンダンス映画祭の主宰は、「グレート・ギャッツビー」に出てたロバート・レッドフォード氏)





とにかく、パッケージもそうなんだけど、うっとりするような青。
自然的な地球じゃなくて、文明が存在する地球としての美しさが映し出されていると思う。
映像も青みがかっていて、ちょっと冷たい感じもする。
けど、それが合ってる。
シンプルにまとまっているポスターの無機質感も近未来めいていて素敵です。

全体的にどことなく「メランコリア」に似ているんだけど、
(新しい惑星・ハンディキャム・日常の記録手法的な意味で)
それよりももっと爽やかな後味となってる。




本当、この画にはうっとりする。
最近観た映画中の映像美ベスト3に入るシーンかも。

話それるけど、
地球はいずれ太陽による爆発でなくなるという記事を幼稚園の頃読んで、
それで怖くなって学校で泣いたという私がなんでSFもの好きになれたんだろう。不思議。
オカルト好きだからかな。UFOとかネッシーとかバミューダ・トライアングルとかアトランティスとか。


で。
この「もう一つの地球」はタイトルにもなってるように、この映画のキーワードと言える。
希望とか、不安とか、他者(地球を自分と考えたときの)とかを意味するから。



同時に、ローダ自身の心理を示していると思う。
実際、出所して世間と関わらないと決めた時は地球2号もひっそりとしているし、
最後に自分自身を見つけることができた時は存在がとても強調されている。




宇宙へ行こうキャンペーンに応募した彼女は、自分を見つけるために応募したに違いない。事故という過ちを犯してしまった自分と向き合うために。自分が何を思ってるのかとかそういう事を話したいと思っているのかも。

それで事故の被害者と思っても見なかった形で関わって、元気を与えることで罪滅ぼししていると思ってた。だけど実際は自分自身が助かっただけ、立ち直れただけだと気づいた。彼に自分が加害者だと明かせるくらいだもん。だから、ジョンに宇宙へのチケットを譲った。彼のほうが、彼自身と向き合う力や勇気が必要だと分かったから。





あと象徴的なのは、ローダの容貌。最後にもう一人の自分と対面するわけだけど、彼女の髪の毛。
この映画の中で髪の毛を下しているのは最初の事故前とジョンと恋に落ちた時。つまり、後悔とか絶望から解放された、本来の彼女を表している。目を引く金髪なのも、彼女が持つ美しさとか強さを体現していると思う。服装にも表れている女性らしさもね。
だから、最後もう一人のローダが出てくるのは、一つには自分が立ち直っていること、立ち直れるという暗示。そして二つ目には、ジョンが自分と向き合うことができたことも仄めかしているんだと思う。向こうの自分がしあわせな生活をしていた、とか。そういったハッピーエンドな結末だと、私は思った。

ちょっと思ったのは、恋愛シーン必要かなぁ…?
ローダはやっぱり若者だな、という印象しか受けないし、純愛性が崩れてしまう気がする。
その後裏切られてしまうというインパクトを持ってきたかったのかもしれないけど、
それよりはプラトニックな方がよかったのではないかなーともやもや。





いやーしかし綺麗だったな。地球2号が映ってるシーン。
お話の内容としては読める展開ではあるけど、
地球2号の存在とかそれに対する人々の反応とかが興味深かったな。
とても身近なシチュエーションに感じた。
星四つは映像に対する評価が高いからかも。


★★★★☆
Dir. and cinematography by Mike Cahill (マイク・ケイヒル)
Screenplay by Mike Cahill and Brit Marling
Music by Fall On Your Sword
2013.01.31
 

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